妥協点を下げることをは絶望ではなく希望である

2022年2月14日号
リライフアカデミー講師 土肥先生


 
こんにちは。リライフアカデミーの土肥です。

ある評論家、実業家で活躍をしている方が、色んな方の人生相談を受けているのですが、

その中での相談内容
「働きたく無いけど何をしたら良いかも分からず絶望している」

という相談を受けてのその方ののお話がとても興味深かったので、
今回それをメルマガ記事にしたいと思います。

相談者は金銭的にも親に頼るのも限界で、性格的に過酷な労働にも耐えられないし、同人作家を目指して頑張ってきたが、フォロワーも全く増えず、絵が下手で営業もしてないから仕方がない事だがどうすることもできず、だからといって自殺するのも辛すぎる。絶望しかないというような内容でした。

それに対してその方の回答は、
「これはすぐ0か100かで考えてしまっていて、自分の思い通りじゃないとすぐにゼロっていう風に考えてしまっているんですよね。
現実は100でもないし0でもないんですよね。

この相談は「できるだけ肉体的に楽な仕事を探す」っていうことで
これで回答終了なんですよ。
負担が軽い方向に持っていくのを絶望と言われても、人生ってそういうもんじゃないですか。

人生って「これがしたい」ところから妥協点を下げていく作業だから、
それは『絶望』ではなくそれは『希望』と呼ぶんだよ。
ありもしない理想だけを追い求めて(例えば)「俺はあの女優と付き合いたい!」じゃなくて、それが現実的に落ちてくるところが『希望』であって
「でもそんなことをしたら妥協してしまうことになる!これは絶望なんだ」
と言ってもそれは違うんだよ、望むことから妥協点を下げていくことが人生であり、それは絶望と希望が逆だよというふうに思いますね。」

とお話しされていて、なるほどそういう考えもあるなぁととても考えさせられました。

目標に向かって進んでいくことはとても素晴らしいことですが、
つまづいたりうまくいかなくても『絶望』する必要はないのかもしれませんね。
妥協=諦めることは悪いことではないと思うと、少し心が楽になるかもしれません。
 

 
 
 

 

 
ご感想ありがとうございます。以下にご紹介します。
*頂いた感想全てを掲載できないことをご了承ください。
 

 
オボ先生も前に、「役に立たなくても、どうしようもなくても良いんだよ」といわれていたのを、思い出しました。
その時は、そんなんでは、生きてる意味がないと思いましたが、今は、どんなんでも、生きてるだけで素晴らしい、生きてるだけ、存在してるだけでいいと思えるようになりました。
「下げる」のは、今はまだ「上にいる」から「下げられる」わけで、「下げて」生きれる妥協点があるとしたら、それは、希望以外のなにものでもないと思います。
下げても妥協点があるのは、希望と心から思いました。
 


 
今回のお話、目からウロコとでもいうのでしょうか、とても納得できて心が折れ軽くなりました。
これまで私の中で妥協というものたくさん存在してましたが、これらそのものが私の人生、そう考えると本当に納得です。
良いお話が聴けました。ありがとうございました。
 


 
妥協だらけの私の人生、これが希望に満ちたってなるなんて、とっても楽しい気分になりました。