他人と比べないりんご法
つい人と比べて自分にダメ出しをしたり、凹んでしまったり。「ありのままの自分」「これでいい」に取り組んでいるのに…とさらに自分を責めてしまったり。
皆さんも経験ありますよね。もちろん私にもそんな時があります。
私は私、私のままで絶対的価値の存在。
人と比べようが比べまいがこの価値は1ミリも上がったり下がったりしないはずなのに比べてしまうということは自分を天秤に乗せて相対的価値で評価してレッテルを貼ってしまうこと。
子どもの自分は、たまったものではありませんよね。
そこで先日スーパーで買い物をしている時にふと思いついた「比べない方法」のお話を今日はさせていただきます。
リンゴを買おうと果物コーナーを物色していた私。
酸味があって爽やかな「紅玉」もいいなあ、でも食後のデザートにサクサク食べたいから「ふじ」かなあ。あ、待って、青森の「王林」青りんごもフレッシュで美味しそう、などあれこれ迷いながら『これってTHE比べてる状態?』と立ち止まりました。
でも
●酸味があって爽やかな紅玉
●デザートに最適なサクサクのふじ
●フレッシュな美味しさの青りんごの王林
と、それぞれの「絶対的価値」はありのまま受け取った上で、私個人の「ニーズ」「需要」で選んでいるに過ぎないから比べているわけではないよね。
これが人間になるとそれぞれの個性や価値を無視して、どっちが良い、悪い、優れている、劣っているで相対的評価で比べてしまうんだなと。
また、アップルパイを作ろう♪という「ニーズ」「需要」でりんごを選ぶなら『酸味のある紅玉だよね』という選択は自然で、むしろ選ばれなかった「ふじ」や「王林」が『悔しい!比べられた!アップルパイにしてもらうために酸っぱくなってやるーー』といじけて変質してしまうこともなければ、『こんな自分はダメだ…』と腐ってしまうこともないですよね。
りんごだったらそれはそうだよ〜とわかりやすいのに、これが人間になると、あるがままの自分の絶対的価値を無視して滅して、相手のニーズに合わせようと必死になったり、ニーズに合わないからと自己否定したりしてしまう…全くもって理不尽極まりない!
人間だってりんごと同じ自然界を生きる存在のはず。
ということで、これからつい他人と比べてしまった時は、『りんご』をイメージしましょう。
身近な家族や兄弟、友人、同僚と比べてしまったら『りんご?りんご』レベル1
同じ職種や同世代の人で比べたら『りんご?みかん』レベル2
赤の他人やTVに出ている芸能人で比べたら『りんご?玉ねぎ』レベル3
レベルが上がるにつれ理不尽さは増していくのでイメージしながら心で叫びましょう。
『こんな理不尽は嫌だーーー』
そして『これでいい、このままでいい』
於保先生が言われる、これでいい、このままでいいとは、自分の絶対的価値でいい、それを他者のニーズに合わせなくていい、ということでもあるんだと、王林をシャクシャク噛み締めながら笑顔になった週末でした。
いつもありがとうございます🎵
りんご・みかん・玉ねぎレベルがあがる程理不尽だーって叫ぶ。時々疲れてるとき、りんごレベルでも理不尽さを感じるときがあります💦感じてもいいよねと、まず深呼吸、個性豊かなのでみんなオッケーになるにはすこーし時間かかるときは、自分だけのお茶をいれてのんびりします。花形先生のお話は、そんな気持ちの後押しでした。感謝です。
いつも読んでいるメルマガが読む気になれずにいたところ。
気が進まないままとりあえずと読んでみました。
先生の他人と比べない、これでいいという言葉でまた救われました。
またメルマガを励みに楽しみに続けて読んでいきたいです。
ひとと違うことが不安になる、私の長年の癖。八方美人は疲れるとわかっていても、そういう自分を変えられなくて更に悩む。以前トレンディドラマの中の主人公のセリフで「ひとからどう思われるかではなく、自分がどうしたいか、だろう」人間として最低限のルールさえ守れば(法律をまもる、公共の場でのマナー、挨拶など)なにをやってもいいと最近開き直るようになりました。相手に失礼な言動があれば、素直に謝罪すればいい。ただし、言葉は一回吐いてしまったらもう拾えないので、そこは目上のかたであろうが、産まれたての赤ちゃんだろうが尊重し、敬意を見たんはらうように心がけている。